3月14日、大倉山シーズンファイナルをもちまして、22年間続けてまいりましたスキージャンプ競技を引退いたしました。

これまで競技を続けてこられたのは、日頃より支えてくださった皆様のおかげです。
まずはこの場をお借りして、心より御礼申し上げます。

茂野美咲さんがきっかけとなって生まれたCHINTAIスキークラブでの8年間は、私の競技人生においてかけがえのない時間でした。
競技に打ち込める環境を整えてくださったこと、またCHINTAI&エイブル応援団の皆様の力強い応援は、どんな時も大きな支えとなり、競技を続ける原動力となりました。


私がスキージャンプを始めた当時、女子ジャンプはまだオリンピック競技ではなく、認知度も低い状況でした。
しかし先輩方の努力で少しずつ環境が整い、そのおかげで安心して競技に打ち込むことができました。道を切り開いてくださった先輩方には、心から感謝しています。

競技を始めた時期は曖昧で、あまり記憶に残っていません。
きっかけも自分の意思ではなかったと思います。
兄や弟の練習についてジャンプ台へ行くうちに、気がつけばスキー板を履かされ、泣きながらスタートを切った記憶があります。
流れの中で始まった競技人生も、気がつけば22年続けることができました。
多くの方々と出会い、支えられたことは私にとって何よりの財産です。





どんな時も、兄弟や家族の存在は大きな支えであり、誇りでした。
兄弟の存在は、常に目標であり挑戦の原動力でした。

大学時代に参加したユニバーシアードの混合団体で兄とともに金メダルを獲得した際、表彰式で日本国歌が流れた瞬間、うれしさのあまり涙が溢れました。
(兄にはきもいといわれました。笑)



社会人になり、思うように結果を出せない時期もありましたが、入社して初めての優勝が陵侑とともに勝てた札幌市長杯大倉山サマージャンプ大会でした。今でも忘れられない思い出です。



どんな時も諭果ならできると一番近くで励ましてくれたのは龍尚でした。
頼りになる末っ子に何度も助けてもらいました。




「兄弟とオリンピックに出場すること」

社会人になり、密かに掲げていた目標でした。

同じ舞台で戦う夢は叶いませんでしたが、その背中を追い続け、時には悔しさを感じながら努力した時間が、私を成長させ、競技を最後まで続ける力となりました。

家族全員が変わらず支えてくれたことに、心から感謝しています。

スキージャンプ競技に出会わせてくれてありがとう。






スキージャンプ競技を通じて得た経験、過ごした時間は、これからの人生においても大きな支えとなると感じています。

今後は競技からは離れますが、引き続きCHINTAIの一員として、競技とはまた違った形で少しでも恩返しができるよう歩んでまいります。


22年間の競技人生を支えてくださったすべての皆様に、改めて深く感謝申し上げます。
これまでいただいたご縁を大切にし、これからも前に進んでいきます。

競技人生に関わってくださったすべての皆様、
本当にほんとうにありがとうございました。

CHINTAIスキークラブ 小林諭果